今屋について
廻船業から世界へ
Introduction
今屋は、江戸時代に周防国井関村阿知須浦(現在の山口県山口市)で御用商人として、萩藩の藩米を大坂堂島市場へ船で運んでいました。
度重なる地元大火によりほとんどの文献が焼失してしまいました。遺された船箪笥に文政9年(1826年)と書かれており、この時には廻船業をしていたことがわかっています。
明治の新時代になると新たな需要を見込み積み荷を石炭に切り替えます。
山口県宇部村(現在の宇部市)で炭鉱が開発され、大消費地である阪神方面へ石炭の買付輸送を担いました。
当時の嫡男今井善一は11歳という幼少時から船を率いて航海し、取引先からも「長州人の心意気をみよ」と称賛されたと伝えられています。
しかし、第二次世界大戦により廻船業は廃業を余儀なくされました。
現代表は今屋の思いを受け継ぎ、外国航路に志を抱き、大学院で商船学を修めた後、大手貿易会社、船会社に勤務します。
そして日本初の民間訓練帆船を設立、公共帆船の運営も手がけ、その後、欧州から北中米、東南アジア、豪州まで世界規模のビジネスに携わってきました。
海外との事業コーディネートを通じて各国の要人との知己を得ていきましたが、その中にブルガリアがありました。
ブルガリアはワインの文化的縁源でした。そして日本にはまだ紹介されいない素晴らしいお酒の宝庫でもあったのです。
Knowledge and Future
そして我々はワインにまつわる農業IoTやデータサイエンスなどを手がけ、ワインを始めとした酒類への関わりを深めてまいりました。
素晴らしいお酒はどのように作られていくか、科学的な要素と地理的要素、そして人的要素の重要性を知ります。
現地の言葉を通して交流し、お酒について知り、そうして得られた素晴らしいものだけを、日本の皆様にお届けすることを誇りとしています。
我々のパートナーは皆、ただの取引相手ではなく我々の友人でもあるのです。